日本統治時代の教育はどんな?
こんにちは。あやみんです☆
去年の7月、台北にある新文化運動紀念館で『小太陽養成計画』と題された日本統治時代の小学生の教育の様子の展示物を見に行って来ました。
そして、それらはとても興味深いものでした。
小太陽養成計画。
『小太陽=子供』って事ですよね。
日本政府の目標
「 この圧に、日本語のわからないものが、一人もないやうにするつもりだ。」
( ,,`・ω・´)ンンン?
「圧」って何だろう?
娘に聞いたところ、「村圧」で「村」の事だそうです。
なので、「この圧に」は、「この村に」の間違いだと思います。
「この村に、日本語のわからないものが、一人もないやうにするつもりだ。」
日本政府がそういう目標を掲げ、台湾人の子供たちを対象に作った教科書はどのようなものだったのでしょうか?
教育勅語
まずは、教育勅語。
これを台湾人の子供たちは暗記したようです。
私の大おばさんもその一人でした。その記事はコチラ↓
分かりやすいように絵付きです。
台湾人の教育
日本語を普及させることを主な目的とする公立学校では、 実施の初期段階では中国の教育はまだ維持されており、子供たちは文字学習科目で日本語のかな文字と漢字を同時に学ぶことができました。
日清戦争の勃発に伴い、主題の内容は台湾の子供たちをより積極的に「忠実で愛国的な日本のティーンエイジャー」になるように教え、いつでも皇帝のために犠牲が払えるよう準備させました。
最初の教科書は、シンプルな内容でしたが…
徐々に内容も難しくなり、絵も清王朝の服装から短髪と制服に徐々に変化していき…
1923年以降には、内容の難易度が大幅にアップし、日本色がより濃くなりました。
台湾原住民の教育
反日情勢が厳しい地域では、日本の警察官を教師とする童教育研究所が設置されました。文明の違いを理由に、教科書も特別に設定されており、教科書の内容は写真が多く、言葉が少ないシンプルなものであり、狩猟や焼畑農業における先住民の経済生活の向上を目指して、長時間の農業と手工芸の授業が計画されました。
美術
色彩を勉強し…
遠近法を勉強し…
動物の形を勉強し…
4年生の美術
5年生の美術
6年生の美術
私が小学生の頃に習った美術よりレベルが高い気がします。(;'∀')
体育
ラジオ体操の基礎を作ったともいえる当時の体操。
白黒映像で、運動会の様子も見れました。
体操服を着た子供たちが綱引きをしており、先生が旗を振りながら「がんばれ~!がんばれ~!」というような活気のある映像でした。
当時の読み物
「台湾の少女」が気になりますね。
その他、紙芝居コーナーやちょっとした昔のゲームコーナーもありました。
まとめ
日本統治時代に台湾で行われていた日本教育の目的は、全ての子供たちが日本語を習得できるようにする事でした。
そして、その目的は果たされたように思います。
当時の子供たちは、日本語をどのように学んだのか?
私の大おばさんのように喜んで学んだ者もいれば、そうでなかった者もいた事でしょう。
また、反日感情が強かった台湾原住民が住む地域では、警察官が教師だったことから、子供たちは厳しい学校生活を送らされていたのではないかと想像します。
私が台湾に住み始めた頃、私の台湾歴史の知識はゼロでした。
そんなある日、台湾北部の烏来(ウーライ)という地に観光に行く機会があり、お土産を売っているタイヤル族のお婆さんに会いました。
彼女はとても気さくな方で、親しげに私と話し、お土産のデザインの意味なども教えてくれました。
彼女の日本語があまりにも流暢だったので興味が沸き、私は悪気なく「どうしてそんなに日本語がお上手なんですか?」と聞いたところ、突然彼女の顔色が変わり、無言に…。
当時の私は、台湾が日本に統治されていた時代があったことすら知らず、今考えるだけで申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
そして、あの経験は、私にとってショックな出来事であり、今でも忘れられずにいます。しかし、彼女は私の何倍もショックだったに違いありません。
日本統治時代、台湾人の日本同化政策は、結果として台湾人の生活向上になり、良い面もあったはずです(公共インフラや教育水準の飛躍的向上など)。
しかし、台湾原住民のように反日感情が強く、自分たちの伝統を守りたいという強い気持ちがある部族にとっては受け入れがたい事だったに違いありません。
ありがたいことに、日本と台湾は友好的な関係が築けています。この関係がずっと続いていく為にも、私たち日本人は台湾日本統治時代の歴史を知り、その歴史と向き合い、そして受け止める事が、台湾人に対する礼儀だと私は思います。
読んでいただきありがとうございました!
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