日本統治時代を生きた大おばさんの話
こんにちは。あやみんです☆
私の台湾人ダンナの大おばさんは、去年107歳でこの世を去りました。
日本統治時代、中国統治時代、そして今の台湾を生きた長い人生でした。
今回は、彼女から垣間見えた日本統治時代の台湾人について書きたいと思います☆
日本人として育った彼女
日本統治時代が、1895〜1945年迄の50年間だったので、彼女のご両親が幼い頃から台湾では日本語が飛び交っていた事になります。
彼女は中国語と台湾語を話しますが、日本語もネイティブのように話しました。
家では、中国語と台湾語。学校や外では日本語だったのでしょう。
日本統治時代の台湾人は、日本人と台湾人の間に差別や区別、また劣等感を感じることがどれくらいあったのか?
また、その時代、台湾在住の日本人は、台湾人を同じ日本人として見ていたのか?
それは私には分かりません。
しかし、その時代に生きた彼女は迷いもなくキッパリこう言いました。
「私は、日本人です!」
私の母が、彼女を訪問した時には、こう言いました。
「我が友よ〜!!!」※初対面😅
それほど、日本への思い入れが強い人でした。多分、彼女だけではなく、その時代を生きた台湾人は彼女と同じ気持ちなんだと思います。
また、自分は日本人であるという誇りも持っていました。
私が訪問する度に、彼女は女学生だった頃に暗記した『教育勅語』を披露してくれました。※当時既に100歳超え!!!↓
本文はこうです。↓
朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器󠄁ヲ成就シ進󠄁テ公󠄁益󠄁ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵󠄁ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ是ノ如キハ獨リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又󠄂以テ爾祖󠄁先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之ヲ古今ニ通󠄁シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕󠄁爾臣民ト俱ニ拳󠄁々服󠄁膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁フ明治二十三年十月三十日
御名御璽
(Wikipediaより)
( ,,`・ω・´)ンンン?
現代語訳はコチラ↓
教育に関する勅語の全文通釈
朕がおもふに、我が御祖先の方々が国をお
肇 めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にこゝにある。汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦 び合い、朋友互に信義を以って交り、へりくだって気随気儘 の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すやうにし、学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまに々々天地と共に窮りなき宝祚 の御栄をたすけ奉れ。かやうにすることは、たゝに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなほさず、汝らの祖先ののこした美風をはつきりあらはすことになる。ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがひ守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違がなく、又我が国はもとより外国でとり用ひても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。
(Wikipediaより)
教育勅語は、1948年に国会によって排除されましたが、それを日本人の心だと信じて疑わなかった彼女は忘れぬよう毎日暗記していました。
自分が日本人でなくなる事が、怖かったのかもしれません。
日本統治時代から中国統治時代になったのは、彼女が30代の頃。
左通行から右通行になり、左側をあるいていた彼女は、中国兵に注意されたそう。
ある時突然、全てが変わってしまった!
彼女はそう言いました。
大きなことから、些細なことまで、全ての事が変わってしまったことは、さぞかし辛かっただろうと思います。受け入れられないこともあったでしょう。
そんな中で、彼女は子供たち4人を立派に育て上げました。
中国人が優遇された時代に、子供たちに高い教育を受けさせ、高い社会的地位に就かせることは簡単な事ではなかったと思います。
中国統治時代、外で台湾語を話せば罰せられました。ということは、日本語も話してはいけないはずです。
しかし、彼女は家の中で台湾語のみならず日本語も自分の子供たちに教えていたみたいです。
こちらは、彼女が亡くなる一年前の動画です。↓
娘さん達と日本の童謡を歌う彼女。
母親の歌を聞いてあげるだけでなく、一緒に歌ってあげたり、「もう一回!」っていってあげている娘さんたちの優しさにウルっときますね。涙
そして、彼女の容姿を見てください。
以前は黒のカツラでしたが、亡くなる一年前は白になっています。じぶんの髪の色に合わせたのでしょうか?それとも年相応の色に変えたのか?
100歳以上にも関わらず、ちゃんとお化粧して眉毛も描いて。
外出もしないのに、ちゃんとお洋服も着て。
スカートの短さなんて、私より若さを感じます。
昔の台湾人は今と違って、もしかしたらキチッとされていたのかな?っと彼女を見て思っていたのですが…
コチラをご覧ください。↓
見てこの写真。みんなキチッとした格好してる。この時代に育った旦那の大おばさんも107歳で死ぬまでずっとお洒落だった。
— あやみん@台湾田舎生活 (@ayamintaiwan) 2021年6月4日
でも、次の世代になると、台湾人の服装がガラッと変わるのよね。それはきっと、中国が台湾を統治してたからだと私は思ってる。#台湾 https://t.co/qGvNR6hfMI
※写真提供者、carl linさんからの許可を頂きました。carlさん、ありがとうございます!😊
日本統治時代の台湾人も、日本人同様に身だしなみがキチッとしていますね。後ろに座っている方たちも普通にスーツで驚きです!
次の世代、つまり中国統治時代に育った台湾人の服装は、中国人と変わらなくなります。スーツなんて基本着ませんしね。統治する国の影響って大きいですね。
そして、余談ですが…
100歳以上で胡坐(あぐら)かけるって凄くないですか?
しかも、ツルッツルの脚!!!
艶が半端ない!!!
彼女は100歳になってからもお肉を普通に食べれたんですよ。胃腸も強かったんでしょうね。
体が丈夫だったからなのか、活力に溢れた方でした。
最後に
お恥ずかしながら、私は台湾に来るまで台湾の歴史について何も知りませんでした。
台湾に来てみると、台湾人が日本人や日本に抱いている感情と、私たちが台湾人に対して思っている感情にギャップがありすぎる事に気づきました。
この大おばさんのように、日本統治時代に生きた台湾人が日本を思う気持ちは強烈です。
あの頃に戻りたい。
日本に帰りたい。
戻れたとしても、あの頃の日本はもうないのですが…
日本人自体の考え方や振る舞いも昔とは全然違います。
それでも、どの時代に生きようが、どこに住んでいようが、その場に流されず日本人として誇りを持って生きていけたらなと思うのでありました。
読んでいただきありがとうございました!
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